行動制限は社会を不健康にするぞ!【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」40
◆経済被害も「健康への被害」だ
措置を実施する側がこのありさまですから、他の人々の混乱ぶりはもっとスゴい。
経済同友会の桜田謙吾代表幹事は、1月18日にこうコメントしました。
リンク先の動画、2分24秒〜2分39秒の箇所です。
場合によっては、
いや、あの、
恐らく間違いなく、
低い、
かも知れない!!
何を言わんとしているのか、自分でも分からないまましゃべっているのだろう、そう見なされても抗弁できた義理ではありません。
ついでに桜田代表幹事、オミクロンがインフルエンザと比べても怖くないとほのめかしていますが、この主張の説得力、ないしその欠如については、「オミクロンのもとで経済を回す方法」で述べたとおりです。
ただし、このような矛盾や混乱が生じるのにも、もっともな理由がある。
行動制限は感染拡大を防ぐため、つまり社会全体の健康を守るために行われますが、じつはそれ自体が社会を不健康にするのです。
くだんのメカニズムを理解するには、WHO(世界保健機関)が「健康」をどう定義しているかを知らねばなりません。
1978年、WHOはUNICEF(国連児童基金)と共同で、「世界的な健康の確立」をテーマとする国際会議を開催しました。
会場となったのは、ソ連(当時)のアルマ・アタ市。
今ではカザフスタンの「アルマティ」として知られる都市です。
会議で採択されたのが「アルマ・アタ宣言」。
2000年までに、地球上のすべての人に健康をもたらそうと謳ったものですが、同宣言の第一項は「健康」を以下のように定義しました。
【肉体、精神、社会活動について、完全に充実した状態であり、たんに病気にかかっていないとか、虚弱でない状態とは異なる】
くだんの定義をコロナに当てはめると、どうなるか。
そうです。
ただウイルスに感染していないだけでは健康とは言えない。
社会活動について、完全に充実していなければなりません。
しかるに行動制限のもとでは、感染していなくとも社会活動に制約が生じる。
アルマ・アタ宣言の定義によれば、健康でなくなってしまうのです!
コロナに感染していない人にとって、行動制限に従うことは、健康であるにもかかわらず、「たんに病気にかかっていない」だけの存在へと格下げされるのにひとしい。
政府や自治体によって、健康を奪われる形になってしまうのです。
社会全体の健康を守るためと称して、オレの健康を奪うなんておかしいじゃないか!
そう感じる人々が出てきて当然でしょう。
このような「健康の剥奪(はくだつ)」の最も分かりやすく、かつ切実な形こそ、売上げや収入の減少、つまり経済被害にほかなりません。
コロナ禍をめぐっては、感染拡大による健康への被害、いわゆる「感染被害」と、社会経済活動への被害、いわゆる「経済被害」との間に、トレードオフの関係があるとしばしば見なされます。
一方を小さくしようとすると、他方が大きくなるというわけですが、「社会活動の充実も健康の一部」と考えるとき、経済被害もまた「健康への被害」。
両者の違いはなくなるのです。